今日は近藤勇の命日です。
亡くなってからちょうど140年の節目です。
下総流山で「大久保大和」の名で新政府軍に投降した近藤は、
結局その正体を知られてしまい、再び土方に会うこともなく
1868(慶応4)年4月25日に板橋で処刑されました。
その話はみなさんの知るところですよね。
最期の日までの間は、途中預かりが変わるものの
最終的には旗本岡田家の預かりとなり
残り少ないわずかな時を、近藤は静かに過ごすのです。
近藤勇の太刀取りをした人物(つまり斬首を執行した者)として、
最近、横倉喜三次(きそうじ)の名前をよく聞くようになりました。
ちょうど大河ドラマ「新選組!」放映の年に、
喜三次のご子孫の家から
近藤と喜三次にまつわる手紙が見つかったことから
その名前が知られるようになったように思われます。
(新聞にも載りました)
その横倉喜三次は近藤が預けられていた岡田家の家来で
神道無念流の免許皆伝者であり、他に小野派一刀流・槍術・柔術等の
武術に秀でた方でした。
その腕を見込まれての近藤の太刀取りだったのでしょう。
岡田家に近藤が預けられている間、
何度か近藤にも会っていたようで、
命令が下ったときにも近藤の元へ出向いています。
武術の心得のあるものどうし、ある意味心通じるものがあり、
近藤も安心してわが身を任せられたのではないかと推察できます。
喜三次の方でも近藤の人柄に触れ、
近藤を一人の幕臣として一目置いていたようにも感じます。
実は喜三次は近藤の太刀取りをした褒美に
いくらかの金子を貰っているのですが、
その金子を全額(五両三分)
自宅のある岐阜県揖斐川町に送り、
妻に近藤勇の法要を行わせているのです。
(実際には近藤ともう一人の為のもの)
岡田家の菩提寺の松林寺や
横倉家の菩提寺の大興寺の僧侶ら6人により執り行われた
ということですから、さぞかし立派な法会だったと思われます。
勇の最期に立ち会った程のわずかの縁の人物が
こうした法要を行ったことは意外な気がしますが、
個人的には嬉しい出来事に思います。
でもこの話はあまり知られていなくて
ご存知ない方も多いかもしれませんね。
(もっとたくさんの方に知ってもらいたいです^^)
140年の昔も、そして今も
亡き魂への思いはひとつです。
近藤先生の御霊が安らかであることを
願うばかりです。 合掌
あなたのお役に立てましたか?
あなたの応援クリックで次回もがんばります!
→
歴史ブログ 日本史
多摩人(たまびと)漫遊記 トップページに戻る
いつのまに・・・
安らかにお眠りになっていることを只願うだけですね。