多摩人(たまびと)漫遊記 〜新選組のチョッと話〜


人生大半を新選組に費やす筆者が、史跡巡りや新選組で得た様々な事柄を綴る。他趣味の旅やペット達を紹介。
Profile ルンちゃんです♪

(写真=幕府のイヌ?)
新選組大好き歴が永〜いだけの私ですが、どうぞいっしょにお話しましょう! 相互リンクもOKです!



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箱館奉行所復元

たぶん ご存知の方も多いと思いますが、

五稜郭内にあった「箱館奉行所」が復元されます。



箱館奉行所ってなぁに?

という方のために、チョッと説明しておきますね




1854(安政元)年に締結された

日米和親条約によって

下田と箱館が開港されました。 ←教科書に出てましたよね^^



その開港にともなって、防衛や開拓などの関係で

箱館奉行所も設置されたのです。




五稜郭ができる前は

箱館山の山麓にあったのですが、

まわりから丸見えの上、一大事のときに

海からの艦砲の標的にされる可能性大だったので、

五稜郭内に再設置されたのです。




そして箱館戦争の際は

榎本軍の基地になったのは

ご存知の通りです。




その後取り壊され、

五稜郭内の博物館分館の前に

建物のごく一部だけが残っていました。




その箱館奉行所の復元工事が

現在進行中なのです





箱館奉行所復元はこんな感じですよ。

以前写真で見た通りですよね。



→ 函館市都市建設部のページ

→ 函館地域ニュース




平成17年に私が五稜郭へ行った時には

まだ現地調査中で、

敷地にロープが張られていました。




そろそろ工事を始めるのかなと思っていたところ

7月13日に着工されたようです。




10月に函館へでかけた友人に

状況を教えてもらったところ

白い天幕が張られ

全く内部はわからなかったみたいです。





奉行所の復元には、

たぶん賛否両論あるのだろうと思いますが、

個人的にはとてもうれしいですよ!!




以前からあの空きスペースを見て

「ここに箱館奉行所が出来ればいいのに」

と思っていたので、

復元の話を聞いたときには

ガッツポーズをしていました(笑)




完工は平成22年とちょっと先ですが、

また五稜郭タワーが出来たときのように

いち早くでかけてその様子を眺めてみたいです。




今からもう感動しちゃいそうです。




思い出すと待ち遠しくてたまらなくなるので、

なるべく思い出さないようにしているのですが、

やっぱり書いてしまいました

みなさん一緒に楽しみにしていましょうね





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  • [2007/11/29/12:03][ ↑ ][ ↓ ]

  • 唐辛子地蔵

    多摩の史跡案内  〜その16〜

                唐辛子地蔵
        

    唐辛子地蔵は、

    旧甲州街道から井上源三郎生家に至る途中、

    欣浄寺の角にあるお地蔵様のことです。




    1766(明和3)年に建立されました。

    「ヤンメ地蔵」とも「メンメ地蔵」とも呼ばれています。



    071124

    お堂の中のお地蔵様
    (クリックで画像が大きくなります)



    その名の由来は

    「唐辛子をお供えすれば眼の病が治る」

    という言い伝えからで、

    「病み目(やみめ)」が語源のようです。




    沖田総司の姉みつの婿、井上林太郎は

    井上源三郎の親戚(分家)であり、

    実家もこの近くでした。





    そのため一時、林太郎・みつ夫婦が

    この近くに住んでいたという話もあり、

    沖田総司も日野に立ち寄ったとき、

    よくこの地蔵をおまいりしていた
    とも

    いわれています。





    『新選組一番隊 沖田総司』の執筆者である

    結喜 しはや氏は取材の際、地元の方から

    「総司が幼い頃にみつと二人で、唐辛子地蔵にお参りをしていた」

    「一時期総司は親戚の家を転々とし、

    その後しばらくこの近くに暮らしたこともあった」

    という話を聞いたそうです。





    実は昔から日野には

    「総司の母は日野の出身」


    という話が残されています。





    はっきりした史料がみつかっていないので、

    研究者の間ではその話を真実かどうか

    断定しかねていますが、

    林太郎とみつとの婚姻を考えると

    あながちうそとも言えないように思われます。






    両親を亡くした総司らは

    母方の親戚を頼って

    日野に住んでいたのでしょうか?





    元麻布にある総司の墓を連想させるような

    屋根つきのお堂に

    ひっそりとたたずんでいるお地蔵様を見ると

    その前で一心に手をあわせている

    幼い少年の幻影が見えるような気がします


    071125



    唐辛子地蔵の話も載っています

    新選組一番隊 沖田総司 (結喜しはや著/新人物往来社)



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    [多摩の史跡案内] [トラックバック:0][コメント:6]
  • [2007/11/26/10:20][ ↑ ][ ↓ ]

  • 北の獅子 〜真説・土方歳三伝〜

    近藤勇と別離れた後の土方歳三を

    くわしく知らない方も多いようですが、

    これを読むとよくわかると思いますよ。


    北の獅子 〜真説・土方歳三伝〜 全3巻
    神田たけ志/潮出版社





    コミック本なので読みやすいです。

    もちろんノンフィクションではありませんが、

    流れをつかむのにはわかりやすいと思います。




    でもこの本

    笑うところは一切ありません
    ^^;




    シリアス一色です。

    重くてイヤになるかもしれません





    ルンちゃんは3冊一気に読みましたが、

    読み終わった時、重い気持になりました

    でもしばらくして また読んだときは

    土方さんの渋さが心地よかったです




    そして3回目以降は、

    土方さんの心の内が察せられて

    なかなか良い本だと思うようになりました。




    ですから、一度だけではなく

    何度も読み返してみて欲しいです。




    ここに登場する人物、

    土方さんは似ているとは思いませんが、

    他の人物はかなり現存している写真に似せて

    描かれています






    特に伊庭八郎や中嶋三郎助の絵は

    そっくりですョ(笑)

    それを見るだけでも楽しめます。




    近藤を失くした土方は

    死地を求めて戦います。




    でもその心の奥底には

    秘めた思いが隠されているのです。





    その思いが同郷の多摩人の心に共鳴します。

    もちろん同郷じゃなくても

    わかってもらえると思いますけど





    共鳴できるか試してみたい方は

    どうぞ読んでみてくださいね。


    071126


    北の獅子 〜真説・土方歳三伝〜 全3巻
    神田たけ志/潮出版社





    その他の土方歳三 コミック




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    [新選組のコミック本] [トラックバック:0][コメント:0]
  • [2007/11/24/10:06][ ↑ ][ ↓ ]

  • 土方歳三ようかん

    探すともなく見つけてしまいました

    京都のお店らしいのですが、

    最近販売を始めたのでしょうか?




    「土方歳三ようかん」
    ですって。




    甘い羊羹のことですよ

    画像をお見せしたかったのですが、

    無断で載せられないので、

    興味のある方は見てきてくださいね。



    土方歳三ようかん




    どうですか?

    ちょっとびっくりしませんでしたか。

    「幕末ようかん」というネーミングで

    その中のひとつらしいのですが、

    実はこの羊羹、土方だけじゃなく

    芹沢、近藤の名前のもあるのです。






    そちらの画面は圧巻ですよ。

    幕末ようかん




    隊士たちの中に「坂本龍馬ようかん」

    もあるのが妙ですけど^^;




    でもなかなか美味しそうです。

    甘さ控えめの芋羊羹。

    結構こういうの好きなんです





    「賀茂公家芋本舗」というところで

    販売されているみたいですが、知りませんでした。

    何度も訪問している京都ですが、

    まだまだ知らないことがありますね





    今度京都に行ったら立ち寄ってみたいです。

    というか、その前に通販で注文しちゃいそうです





    しかし、我ながら

    「よくこういった商品を見つけるな〜」

    と感心してしまいます。





    特にアンテナをはっているわけではありませんよ。

    向こうからヒョイとやってくる感じです。




    これも土方さんたちの思し召し?




    なんにしてもまた面白いものがあったら、

    ご紹介していきますので、

    どうぞお楽しみに^^




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    [新選組グッズ 食品編] [トラックバック:1][コメント:7]
  • [2007/11/21/09:43][ ↑ ][ ↓ ]

  • 土方○○○ピー

    この前「土方歳三資料館」に行った時

    こちらを買ってきました



    土方歳三キューピー
    071118

    洋装の土方です^^
    クリックで画像が大きくなります




    「訪問記念に何かないかな」と思って

    販売ブースを見たのですけど、

    資料本で欲しいものはすでに全部持っていたので、

    こちらにしてみました♪





    キューピーは特に集めてはいないのですが、

    可愛かったし、資料館の限定もので、

    こちらでしか手に入らないものでしたので。。。 ←言い訳(笑)




    限定ものに弱いルンちゃんです^^;




    人数の都合で別のバスに乗っていた友人と

    資料館でまた一緒になり、

    「こんなの買っちゃった〜」

    と照れながらキューピーを見せました。




    すると彼女も買ったとのこと。

    気持ちは一緒ですね♪




    彼女の住む京都にも

    土方グッズはたくさんありますが、

    こちらの方が可愛いそうです。



    そんなわけで

    また新選組グッズが増えましたよ。

    もう何点目でしょうか?




    そのうちグッズ博物館でも開けそうな感じです。

    グッズの数々は、またこちらでも紹介していきますね




    ちなみに土方歳三キューピーは
    「土方歳三資料館」のオンラインショップで購入できます。
    気になる方はこちらをどうぞ^^
    土方歳三資料館HP



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    [新選組グッズ] [トラックバック:0][コメント:4]
  • [2007/11/19/10:58][ ↑ ][ ↓ ]

  • 『新選組を語る会』に参加しました

    11月11日(日)に日野市高幡不動尊で

    『新選組を語る会』が開催されました




    『語る会』についてはこちらの過去記事をどうぞ^^
    『新選組を語る会』



    当日のタイムスケジュールはこんな感じです。

    11:00〜12:00 受付・境内見学(日野市新選組ガイドの会案内)
    12:00〜13:00 昼食会・天然理心流宗家挨拶
    13:00〜15:00 ご子孫挨拶・記念講演会(講師/伊東成郎氏)
    15:00〜15:30 天然理心流演武・無外流演武
    15:30〜17:00 資料館見学
       〜17:00 解散

    後半は時間がなく、すごくハイペースで

    実際に終わったのは かなり予定より過ぎていました。    




    たくさんの方がいらっしゃるのかな

    と思っていましたが、そうでもなく

    100人余りという感じです。

    見知った顔も少なく「歳三忌」や「総司忌」とは

    少し違った雰囲気でしたよ。





    今回ご出席のご子孫の方は

    近藤勇・土方歳三・井上源三郎・永倉新八・佐藤彦五郎、

    そして榎本武揚のご子孫の方です。


    しっかり榎本さんも新選組のメンバーですね(笑)





    もっと沢山の縁者がおみえになると

    心ひそかに楽しみにしていたのですが、

    「歳三忌」とあまり変わりませんでした。






    講演前に近藤勇の兄のご子孫にあたる

    宮川豊治氏のお話があり、

    「昭和50年頃の語る会には 先代の土方家、佐藤家のご当主、

    そして事務局長の谷春雄氏がご存命で…」

    と聞いているうちに、ご当主も代替わりして、

    新選組との関わりも薄くなってしまった家もあることを

    実感したのです。





    もう昔のようには集まらないのかもしれませんね。

    そんな中で、多摩の地域の勢いは地元民として

    うれしいかぎりですけど。





    講演会は伊東成郎氏のお話です。

    この講演会がお目当てでもあったので

    ワクワクしながら聞きました。




    今日の演題は

    「新選組と出会った女たち」です。

    ほとんど知っているネタですが、

    伊東さんのトークはいつ聞いても楽しいです。




    実はもう一つのお目当ては

    「小島資料館」見学だったのですが ←小島鹿之助宅ね

    小島さんに急用ができて中止になりました。

    つい先日も「小島資料館」に行く予定でしたが

    かなわず、リベンジのつもりで楽しみにしてたのですけど。

    京都から来た友人のYさんも楽しみにしていたそうで、

    これが第1の目的だったろうに、残念ですね。





    かわりに土方、井上、佐藤の各資料館に変更になりました。

    でも各館で初展示のものがあったので、

    これはこれでうれしかったですよ。




    まず土方歳三資料館は

    『歳三佩刀・大和守源秀国』の展示です。

    所有者の方の好意で展示されたものですが、

    歳三が戊辰戦争で使用した刀だそうで、

    そのことが裏銘にも「幕府侍土方義豊…」と

    彫られています。





    展示もその銘が見られるように

    通常とは逆の向きに展示され、

    裏銘を直接見ることができました。

    みなさん文字に見入ってましたよ。

    もちろん私もです




    この展示は歳三140回忌を迎える

    来年5月末まで延長になりましたので、

    来年までに行く予定の方はチャンスです





    井上源三郎資料館は

    兄松五郎の理心流関連書が初展示だそうです。

    もちろん源さんの免許皆伝書も見ました




    佐藤彦五郎 新選組資料館では

    「自分の身になにかあったときのために

     この日記1冊をおくる…」


    と書かれている土方の手紙が初公開です。




    私の中では「土方の日記」は

    比較的タイムリーな話題でしたので、

    見たときには思わず心の中ででしたよ

    佐藤資料館では今年話に聞いていた

    「近藤の短筒」や「歳三の横笛」も

    見ることができたので満足しています。




    それでもゆっくり見るまもなく

    時間が過ぎてしまったので、

    また再度見学に行くようですね。




    今回の『語る会』の感想はというと

    ちょっと期待が大きかっただけに

    不満な点も多々ありました。

    例えば「語る会」というのですから

    ご子孫の方の話をもっとたくさん聞きたかったです。




    「歳三忌」などとは違った内容にしてもらいたいですしね。





    不満を書いてしまいましたが、

    実は来年もあるそうなので、

    改善してほしくてあえて希望を書いてみました。




    昔以上の 活動的で充実した

    『新選組を語る会』になってもらいたいです。



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  • [2007/11/17/09:49][ ↑ ][ ↓ ]

  • 開陽丸座礁の日 〜そして沈没〜

    新選組版「今日は何の日」です。



    松前から江差に進軍中の

    土方歳三ら陸軍を援護すべく、

    榎本武揚以下 開陽丸乗組員は

    1868(明治元)年11月14日

    箱館を出港しました。




    途中松前に立ち寄り、

    翌朝江差に着いた開陽丸は

    日の出とともに陸地に向かって発砲しましたが、

    松前藩の応戦は結局ありませんでした。




    土方たちより一足はやく

    江差を占拠した榎本たちは

    進軍中の陸軍へ使者を送り

    彼らを待つことにしました。




    夕刻になって、

    この地特有の波浪(タバ風)が起こり、

    天候が時間の経過とともに荒れだします。




    開陽丸は波にもまれ

    錨を定着させることができません。

    艦員たちにはどうすることもできず、

    とうとう艦は暗礁に乗り上げてしまったのです。




    開陽丸座礁 それが11月15日です。

    (新暦1868年12月28日)





    開陽丸乗組員は手を尽くして

    暗礁からの脱出を試みますが、

    荒れる波浪にどうすることもできず、

    ますます身動きがとれなくなっていきます。




    翌16日、江差に到着し土方が見たものは

    座礁し身動きがとれず悲痛な姿をさらした開陽丸。

    丘の上からその様子をみた彼は

    悔しがって近くの一本松を

    叩きつけたとも伝えられています。





    開陽丸座礁の報告を受けて、箱館から

    回天丸・神速丸が救助にかけつけますが、

    しけのため投錨できないばかりか

    神速丸は機関に故障をきたし、

    これも川尻付近で座礁してしまうのです。





    座礁から5日後、風波が静まったのをみて

    乗組員が開陽丸から脱出しますが、

    艦はどうすることもできず、

    その約5日後 海の底へと消えていきました。

    短期間に榎本軍は大切な艦を2つも失ってしまったのです。



    開陽丸沈没。




    その報により

    今まで明治政府と榎本軍に対し

    中立の立場を取っていた諸外国の態度が一変し、

    日本へ売却予定だった甲鉄艦

    明治政府に売り渡します。




    これにより最強の海軍を誇り

    それを武器にしていた榎本軍と

    明治政府の勢力が逆転し、

    来るべき最期の戦いに

    榎本軍は幾多の不安を残すことになるのです。




    開陽丸沈没はまさしく

    榎本軍の運命の分岐点ともいえる

    できごとでありました。 




    松ぼっくりを拾いました

    伝説の「歳三なげきの松」です
    (クリックで画像が大きくなります)





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  • [2007/11/15/10:57][ ↑ ][ ↓ ]

  • 龍馬の身長&歳三の身長

    突然ですが、

    坂本龍馬の身長は169センチ
    だそうですね




    たまたま昼食に入ったお店で

    報知新聞に載っていた記事をみました




    11月6日 報知新聞の記事 




    二人の学者の方が、肖像画の着衣や所持品などから

    身長を推定する方法で導き出した身長です。




    龍馬は6尺(約180センチ)とも

    5尺8寸(約174センチ)ともいわれたそうですが、

    今回の結果では169センチ。

    当時の平均より少し高いくらいだそうですよ。

    (結構高いと思うのですが)




    この記事によると当時の男性平均は160センチ弱。

    私は幕末の人の平均身長は150センチ強と記憶していたので、

    龍馬の身長より、この身長の方が意外でした。





    今回の身長推定は

    肖像画の着衣や所持品を利用しての

    推定だそうですが、

    絵は画家の描き方によって表現が変わるので、

    この身長は微妙な気もするのですが^^;




    実際の本人の着物があれば 

    着丈、身の丈の採寸で

    当たらずとも遠からずの身長が

    わかったと思うのですけれどね。




    ところで土方さんは 五尺五寸。

    つまり約167センチだったらしいですよ。

    これも実際に測ったわけではありませんが、

    龍馬といい勝負だと思いませんか(笑)






    他に幕末の頃の人物で私が知っているのは

    徳川慶喜さんの約150センチかな。

    「大徳川展」の慶喜さんのフランス帽も

    かなり小さく感じましたよ^^





    でもそれより

    実は今回の記事で一番びっくりしたのは

    豊臣秀吉の側室 淀の方様。

    同じような推測の仕方で

    なんと約168センチあったらしいですよ






    龍馬や土方さんとほぼ同じ身長じゃありませんか!
     ←しかも戦国時代で^^;

    もしこれが本当なら きっと当時の男たちには

    ものすごい威圧感があったでしょうね!





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  • [2007/11/10/11:22][ ↑ ][ ↓ ]

  • 幕末の松前藩について

    前回の記事「松前藩陥落の日」で

    松前藩の内情のお話は記事量の都合上

    あえて載せませんでした。




    ご質問があったので、

    コメント欄に書くつもりが、

    文が長くなりそうなので こちらに載せますね。




    といっても私の知る限りのことで

    説明が不十分かもしれませんので、

    ご存知の方は補足説明をお願いします。




    大政奉還後、旧幕府軍と征東軍とが戦争になり、

    どちらについた方が自藩にとって得策か、

    各藩それは大混乱だったようです。




    もちろん松前藩も同じでした。

    幕藩政治の際は、老中の役職についていた程ですから、

    最初は幕府寄りだったようです。




    十八代藩主松前徳広はもともと病弱で、

    心身喪失の状態でもありましたから、

    政務を執るのはむずかしく、

    また松前藩は若年で家督を継ぐ藩主が続いたことから、

    重臣たちが勝手に藩政を動かしていたようです。




    そのため筆頭家老松前勘解由に反対するものも多く、

    1868年7月、鈴木織太郎ら正議隊がクーデターを起こし

    藩政の転覆を図りました。




    それは成功し、新しく下国安芸が筆頭家老になり、

    鈴木織太郎、下国東太郎、松井屯が近習頭となって

    藩政を行いましたが、それだけでは終りませんでした。




    彼らは8月1日から3日にわたり、

    旧重臣たちの邸宅を襲撃し、

    蠣崎監三を殺害、松前勘解由と関左守を自刃に追い込み、

    山下雄城を投獄死させ、そして彼らの家名断絶を行いました。





    また、江戸の遠藤又左衛門と京都の高橋敬蔵にも

    血の粛清を行い、松前藩は勤皇派一色となったのです。




    その3ヵ月後に榎本軍が箱館にやってきたわけです。





    松前藩士の桜井怒三郎は

    榎本軍が蝦夷へ上陸し、箱館に至る闘争の間に

    捕虜になったらしいです。




    これは私の憶測ですが、

    『万国海律全書(国際法書)』を携えた榎本軍は

    捕虜に対しての扱いも紳士的だったため、

    桜井は榎本の使者の依頼も納得して

    出かけたのだろうと思います。




    捕虜が相手方への交渉の使者になることは

    戦争時ではよくあることですしね。




    しかしながら松前藩は先述のような状態でしたので

    桜井の行動を潔しとせず、彼を斬首し、

    榎本軍へ抗戦の態度を示したのです。




    松前藩の場合は過激すぎたかもしれませんが、

    この時代の各藩は同様の問題を抱えていたことと思われます。




    このような時代背景をみると

    松前藩の行った桜井への行為も

    少しは納得できるのではないでしょうか。




    参考資料
    イラストでみる箱館戦争/新人物往来社編

    松前徳広 - Wikipedia





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  • [2007/11/08/11:22][ ↑ ][ ↓ ]

  • 松前城陥落の日

    新選組版「今日は何の日」です。




    蝦夷箱館に上陸した榎本軍は、

    10月26日、五稜郭へ無血占拠を果たしました。



    榎本武揚は

    蝦夷来航の趣意を松前藩主へ知らせて

    和平協力を要請をする目的で、

    松前藩士桜井怒三郎を使者に立てて

    書状を松前城まで届けさせました。




    しかし松前藩はそれを受け入れず、

    そればかりか桜井を斬首してしまうのです。




    この抗戦的な態度に

    榎本軍は松前城の攻撃を決め、

    10月28日土方歳三を討伐の将として、

    額兵隊・陸軍隊・彰義隊・新選組をひきつれ

    進軍します。




    途中小競り合いはあったものの

    大きな被害はなく、

    11月5日早朝
     
    全軍が松前に集結
    しました。





    そして戦闘開始!




    このとき松前藩主の松前徳広(のりひろ)は

    すでに脱出していて、城の守備兵は

    百人余りだったといわれています。





    それでも彰義隊らが門前に進撃してくると

    藩士達は大砲で激しく応戦し、

    なかなか城内へ入ることができませんでした。





    業を煮やした榎本軍は一部を城の裏手に回らせ、

    はしごで塀を乗り越え、松前藩兵の背後をついて

    彼らを混乱に落としいれ、最終的には

    松前城陥落を成功させたのです。




    それが1868(明治元)年11月5日でした。





    門前進撃の際、松前藩兵は

    「門を開けては大砲を撃ち、門を閉じては玉込めをし」

    を繰り返し、榎本軍を大いに悩ませたという話もあり、

    よくドラマの題材に使われていますが、

    真偽のほどはわかりません。




    この戦いは数時間で終わったそうですが、

    松前藩側の死者は6人負傷者4人、

    榎本軍は死者2人出しています。




    こうして榎本軍は松前城攻略に勝利したのですが、

    その勝利に浸るまもなく、数日後には

    運命の分岐点ともいえるあの江差へと

    進軍していくのです。




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  • [2007/11/05/10:35][ ↑ ][ ↓ ]

  • 新選組戦場日記

    「永倉新八の手記がある」



    それは新選組の研究家の間では

    かなり有名な話
    でした。




    よく知られている「新選組顛末記」は

    新八が老齢になってから、

    小樽新聞の記者が彼の話を聞いて

    それを新聞に載せたものです。





    ですから大衆受けするような

    演出された部分もあるようです。




    この手記の方はもっと若い頃に新八自身が書いたものなので、

    記憶はより鮮明に、詳細は細かく書かれているだろうと

    推察ができました。

    (知られていないことも書いてありそうでしたし)





    でもこの手記がどこにあるのかわかりませんでした。




    まだ手記が新八の手元にある頃、

    横浜の講談師に新八は手記を見せたことがあります。

    するとこの講談師は「是非これを貸して欲しい」

    と懇願したそうです。





    はじめは断っていたものの、結局は根負けして

    「必ず返してくれるなら」

    と念押しして、新八は貸したのです。




    しかしその後いくら催促しても返して貰えず、

    そのうち本人の居場所も

    生きているのか死んでいるのかもわからなくなり、

    とうとう永倉の元には戻ってきませんでした。





    それが幻の手記「浪士文久報国記事」なのです。





    ところがこの手記、

    平成になって奈良の歴史研究家が見つけだしたのですね

    このニュースは新聞などでも取り上げられたので、

    ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。





    全3冊、すべて無事な姿で人々の前にお目見えしました




    この「浪士文久報国記事」を解読し、

    本にまとめたのがこちらです。



    新選組戦場日記/木村幸比古(PHP出版)




    木村幸比古氏は「霊山歴史館」の学芸員の方です。

    読み下しの部分と解説の部分とにわかれているので、

    慣れていないと読みにくいかもしれません。




    内容的には新たな発見はなかったものの

    書かれた時期が明治の初期頃とみられ、

    個々の出来事が鮮明に書かれています。




    なによりもこの時代に発見され、

    私たちが目にすることができたことは

    とてもうれしいことですよね^^




    ところで幹部のなかでもう一人

    手記を書いたらしい人がいるのですよ。

    それはいったい誰だと思いますか?^^



    はい、答えは土方歳三さんです。(当たりました?)
      ↑  ↑
    星から星までを左クリックしながら右へ滑らせてください^^




    その内容の一部は、別な本に引用という形で

    発見されています。 

    でも本物は今だ行方知れずです。




    なにが書いてあるのか

    とても興味がありますよね!

    こちらもなんとしてでも

    探し出すことができればと思うのですが、

    いったいどこにあるのでしょうね?





    こちらが「新選組戦場日記」ですが
    売り切れでないかも…
    古本店等をあたってみて下さい


    PHPの新選組本





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    今月のご紹介本


    幕末新選組拾遺帖
    伊東成郎著/新人物往来社


    あまり世間に知られていない
    資・史料から、
    著者が時間をかけて拾い出した
    エピソードや実話・風聞などが
    たっぷり入っています。

    詳細はこちら^^
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