平成20年2月17日(日)、日野市で行われた
「西洋流砲術演武」の見学に行ってきました
日本で最初の洋式砲術調練は
1842(天保12)年、
現在の板橋区高島平である「徳丸原」で行われました。
高島四郎太夫秋帆が日本での開祖です。
演武を行った「西洋流火術鉄砲保存会」は
その高島平で7年前に発足した会で、
今回11名程が参加されていました。
幕末期、国内外の情勢から海防強化や治安維持の目的で
幕府代官江川太郎左衛門は農兵隊の創設を幕府に願い出ていました。
でもすぐには許可されず、次の代でやっと承諾されました。
それは
1861(文久3)年のことです。
日野宿で調練がされたのは
1865(慶応元)年2月21日。
その前年に農兵隊の幹部が代官屋敷で教育調練を受けていましたが、
実際に日野で調練が行われるまでには
初めての洋式調練から22年の月日が経っています。
この
日野宿農兵隊はかなり活躍していて、武州一揆では
自分たちの土地を打ちこわしから守るために
拝島から来た暴動群を多摩川でくいとめたり、
八王子の強盗をやっつけたりしています
甲陽鎮撫隊が甲州に赴いた際にも一部の隊士が
鎮撫隊に加わっていました。
そのため、新政府軍が日野宿にやってきた時
捜査の手が入り、佐藤彦五郎一家はちりじりになるのです。
こんな感じで、西洋流砲術と日野は
少なからず縁があるわけですね!
さて当日の演武はPM1:30からと聞いていたので
1:00頃に行ってみると、人はまだほとんどいませんでした。
でも、しばらくすると太鼓とほら貝の音とともに
新選組に扮した人々や砲術隊の一団が行進しつつ登場。
その頃から見学の人が集まり出しました。
公園外を1周し会場に入ってきたのは
20人くらいの一団です。
最初新選組と浪士の殺陣のパフォーマンスがあり、
その後にいよいよ砲術の実演です。
今回は火縄銃の演武らしく、
会場に入った演者たちは火縄に火をつけ始めました。
赤い火縄はとても印象的でしたけど、
ライターで付けていたのがなんとなく可笑しかったですよ
縄は輪っかにして左手首に通しています。
巻きつけているという感じでしょうか。
次に筒内の掃除(写真参照)
そして火薬の挿入です。
タバコよりも若干太くて短い筒型のケースに
火薬が入っているようで、それを
肩からかけているポーチバッグみたいなものから取り出して
本体に挿入しています(写真参照)
たぶんその後に弾込め作業があるのでしょうが、
演武なのでそこは省かれ(つまり空砲)、いよいよ実演です
合図と共にまずは祝砲で1発!
パンッ!
わかっていたにもかかわらず、
その音にちょっとびっくりしてしまいました
公園内にいたハトもその音に飛び立っていく始末。
その後は数回の連打です。
このときはもう音には慣れましたけど
火薬のニオイが漂っていました。
合図と共に次々発射されていきます。
銃術も一種の武道でしょうか?
こういったものにもきちんと作法があるのですね。
打ってから次の打ち方までの時間は
思ったよりは早かったですけど、
あれが実戦だったらやはり時間がかかって
大変だな〜と思いました。
演武は15分くらいで終わったでしょうか。
あっという間でしたが、身近に見ることができて
とてもいい体験ができましたよ

。
今回見学者は思ったよりも少なく(100人もいない)
ゆったりと見れましたけど、もっと銃砲についての
詳しい解説や、できれば歴史館での
銃砲の講習会などもして欲しかったですね。
そんな希望も込めて、また再び
砲術演武の実演を願っています
※ブログの写真容量が一杯になってしまったようなので、
今回は「フォト蔵」を使っての写真アップです^^
スライドショーでお楽しみ下さい♪
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